斑尾だより

斑尾高原 田村ペンションのあるじが、思いつくまま書いています。

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古代の北信濃(11)

昨日、「国生み神話」が生まれたのは、縄文時代のことだっただろうと書きました。
 その後、少し調べたいことがあって、古田武彦氏の「盗まれた神話」をもう一度、読み返してみました。かなり前に読んだものなので、記憶が曖昧です。
 その中で、「国生み神話が生まれたのは弥生時代だろう」と書かれているのを見つけました。
 氏がそう考えられるのは、国生み神話が、「矛」にまつわる神話だからです。

 「古事記」でも、「日本書紀」でも、まだ大地が渾沌としているとき、イザナギ、イザナミが、天浮橋に立って、天沼矛で大地をかき混ぜた。矛から滴り落ちたものが、積もって島になった。その島で、国生みを行ったとされています。
 「銅矛」それこそ、北九州を中心とする、弥生時代の遺物の王者といえるものです。「なるほど、そうかもしれない」と思いました。
 しかし、私の知識では、弥生時代は、せいぜいBC400年くらいから。そんなに「新しい」神話なのかなあ、と、ちょっと納得できず、もう一度弥生時代について調べてみました。(ウィキペディアですが・・(笑)
 そこで知ったのですが、最近いろいろ研究が進み、弥生時代がどんどん前にさかのぼっていっている、そして、何を持って縄文時代と弥生時代のさかいとするかすら、議論され始めていると言うことです。(私は単純に「土器」の違いと、いまだに思っていました)
 そして、今は、「水稲耕作が行われた」というのを境にしようという意見が大半を占めるようになったと言うことです。
 そこで又、新たに知ったことがあります。それは、縄文時代には、「戦争」のあとが見られない、「戦争」の痕跡が見られるのは「弥生時代」になってからなのだそうです。(そんなことも知らなかったのかと言われそうですね・・)
 そうだとすれば、古田武彦氏の言われるとおり、「矛」の文化は、弥生時代の文化です。戦いのなかった、縄文時代には、「矛」は無用でしょうから。
 私は、考えを改めなければなりません。

それにしても、「水稲耕作」が始まって、戦争が始まったということ。
 水稲耕作が、革命的に食物の生産量が増大した証拠なのでしょう。大量の食料を保存しなければならない。良質の土地も欲しくなる。それら奪い合うようになる・・。そんな構図だったのでしょう。
 それがいまだに続いているのかと思うと、縄文時代に生まれたかったと思ってしまいます。ずいぶん簡単なまとめ方ですが・・・(^^;
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  1. 2008/04/12(土) 19:33:20|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

コメント

困った・・・

タムペンさんのおかげで寝る時間が少なくなって困ってます。
この辺は州として独自?の文化を持ってたような気がします。
大国主が高志の国の沼河比売と一緒になり、その子供建御名方神が姫川を上り諏訪に入ったという神話からも、西からの文化のルートの一つだと思います。
  諏訪湖が、州羽の海といわれたことからも、信州?はきっと重要な地域だったとも思い、資料集めのおらっちです。
 例のごとく枝葉が分かれ、今中国史にどっぷり!!。
  1. 2008/04/12(土) 22:46:18 |
  2. URL |
  3. おらっち #-
  4. [ 編集]

中国史

おっと、とんでもないところへ、飛んでいきましたねえ。私もいろいろ気になる枝葉があるのですが、あんまりそっちにこだわってると、迷路に入ってしまいそうで・・取りあえず、前だけ見て、まっすぐここまで来てしまいました。かなりいろいろ、はしょってしまってます。
「建御名方神」の話、私も後で書こうと思っていました。大町に昔からあった「銅戈」その時持ってきたものだって考えてる人もいるようですよ。
 でも、睡眠は取って下さい。眠ったまま、車運転するの、得意な方ですから・・・(笑)


 
  1. 2008/04/12(土) 23:14:01 |
  2. URL |
  3. あるじ #-
  4. [ 編集]

昔はつながってたが、陸地が離れてからの人と文化の行き来が知りたくて・・・あっちこっち。
 食料・土地での戦が元だと思いますが、民族(広い範囲での)争いの中で文化が地域的特徴が出てる・・?
 西の方からばかりではなく、東からも入ってるはずだよね。
それと、建御名方神って実際は・・・誰?どんな集団。
    
  1. 2008/04/13(日) 11:50:53 |
  2. URL |
  3. おらっち #-
  4. [ 編集]

ナウマン象

昔、日本列島は大陸と繋がっていたと言われていますが、最近、対馬海峡は繋がっていなかったという学説があるみたいですね。野尻湖ナウマン象博物館のホームページに書いてありました。(笑)
 氷河期には日本海が凍ってて、その上を渡ってきたんじゃないかと言うことです。
 日本と大陸、朝鮮半島の交流はもっぱら舟のわけで、そうなると、昔のことですから、どうしても海流に影響される。日本海に入ってくる対馬海流は中国の長江の河口あたりの海水も入ってくるようですから、どうしても、大陸の文化は西から、日本海に入ってくる・・。
 中国は何しろ4大文明発祥の地ですから、やっぱり文化は日本より進んでた・・だから、人も文化も西から・・・そう思っているのですが・・。
 日本の東は太平洋ですから、海を超えては、まずないと思うのですが・・
建御名方神は、もちろん集団でしょうね。どんな集団なんでしょう・・今、ちょっと調べ中です。今夜も寝られないかな・・・
  1. 2008/04/13(日) 18:33:51 |
  2. URL |
  3. あるじ #-
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