斑尾だより

斑尾高原 田村ペンションのあるじが、思いつくまま書いています。

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古代の北信濃(5)

 銅戈は、大陸、朝鮮半島でも多数出土しています。中国で発生し、それが朝鮮半島を伝わって日本に来たということは定説になっています。

 日本で出土する銅戈は、北九州を中心として中国、四国地方で見られるものと、近畿地方で見つかるものとは、異なる特徴を持っているため、それぞれ、「九州型」、「大阪湾型(淡路島、和歌山でも見つかったので、そう呼ばれているのだと思います)」と分類されています。
 それらは、いずれも、武器として使用された形跡がありません。おそらく、昔は武器だったものが、弥生時代には祭りの時の道具、「祭器」として使われるようになっていったのだろうというのが定説になっています。柳沢遺跡で出土したのも、同じ事が言えます。
 弥生時代は、稲作(水田による。陸稲は縄文時代から栽培されていたのではないかと、最近の研究で考えられるようになったようです)が始まった時代といわれています。銅戈は農耕集落での豊作を祈願する祭りなどで、ありがたい道具として使われたのだろうと思います。

 しかし、ここでも、柳沢遺跡は不思議な特徴を持っています。
それは、出土した銅戈が「九州型」が1本「大阪湾型」が6本、と、どちらのものも混じっていたのです。これまでの発掘では、そのようなことはなかったようです。近畿地方で九州型が出た例はなく、またその逆もないようです。
 全く、初めての例でした。

1号銅戈
<<1号銅戈(九州型、全長34.4cm)

6号銅戈
<<6号銅戈(大阪湾型)

 しかも、写真でわかりますように九州型は、かなり腐植が激しいのに、大阪湾型はまだ、しっかりした形をとどめています。
 これがどのような理由によるのか、展示場におられた学芸員の方に聞いてみたのですが、これまでの研究では、そこまでは、わかっていないのだという答えでした。そして、それを研究することが、この柳沢遺跡の謎を解く大きな鍵になりそうだと、楽しそうに話しておられました。

 発掘現場で最初に見つかったの1本(前に写真を掲載したもの。7号銅戈と呼ばれています)は、大阪湾型だったのですが、出土したときは、きれいな白銅色(ある人は赤銅色とも言っていました)だったそうなのですが、空気に触れている内に、みるみる、写真のような赤さび色に変わっていったと言うことです。
土の中に埋められていた2000年の間は、全く古代の色そのままだったのだろうとのこと。何とも不思議な気がします。

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  1. 2008/04/04(金) 12:12:33|
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