斑尾だより

斑尾高原 田村ペンションのあるじが、思いつくまま書いています。

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古代の北信濃(2)

 柳沢遺跡というのは中野市の最北端、ほとんど飯山市との市境にあり、千曲川のすぐそばです。

 柳澤遺跡
 <<柳沢遺跡の位置。赤い四角の真ん中あたりです>>

 北信地方は、言ってみれば古代遺跡の宝庫で、野尻湖のナウマン象の例を挙げるまでもなく、旧石器時代から、縄文時代、弥生時代、古墳時代、その後の遺跡も数知れず、貴重な埋蔵文化財がこれまでにもたくさん発掘されています。
 特に弥生時代の出土品は大変貴重な、特徴的なものがあるようで、同じ、中野市の「栗林」というところで出土した土器は、その特徴を持つ土器を考古学上「栗林式土器」と分類されるほどのものです。
 この「栗林式土器」は善光寺平から飯山盆地に至る、千曲川沿いの北信一帯、さらには新潟県上越地区で広く出土しているようで、このあたりに弥生時代に同一の文化圏があったことをうかがわせます。この栗林文化が栄えたのは、だいたい紀元元年(西暦0年)を中心に前後200年間くらいだったであろうと推定されています。

 柳沢遺跡も、もちろんこの文化圏の中で、かなり重要な存在だったのではないか。今回の発見は、そんなことを感じさせます。
 
 余談ですが、上信越自動車道の信州中野インターチェンジから新潟県の中郷インターあたりまでの工事は、まさに、古代遺跡を貫くといった感じの工事だったようです。至る所に遺跡が点在しており、工事の前、そこら中で、発掘作業が行われました。
 ちょうど今の野尻湖インターチェンジの場所が「貫の木遺跡」と呼ばれる広大な遺跡で、かくいう私も、オフシーズンのアルバイトで、発掘作業をしておりました。毎日、毎日、しゃがみこんで、地面を掘っていました。
 そこは、旧石器時代(後期・約2万年前)の遺跡で、いろいろな石器が出てきました。新聞紙上を賑わすほどのものを発掘したことはありませんでしたが、黒曜石のいろいろな石器(矢じりや小刀が多かった)や原石がよく見つかりました。
黒曜石は、元々、どこにでもあるものではなく、この地区で出土するものは、長野県の和田峠から切り出され、運ばれたものだという話を聞いたとき、そんな時代から、ちゃんと交易が行われていたんだと言うことに、ちょっとした感銘を受けた記憶があります。
 野尻湖付近の旧石器人がわざわざ和田峠まで黒曜石を求めて探しに行ってたまたま見つけ、持って帰ったとは思えませんから、和田峠あたりの旧石器人が掘り出した石を持ってこのあたりまで「行商」に来たのか、もしくは、和田峠には黒曜石があるというのが、旧石器人の共通の情報だったのだろうと考えたら、20000年間の人間の進歩なんて、たかが知れているような気がしたものです。大袈裟に言えば、やってることがそんなに変わらないような気がして・・
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  1. 2008/04/01(火) 10:08:11|
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