斑尾だより

斑尾高原 田村ペンションのあるじが、思いつくまま書いています。

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古代の北信濃

昨年の10月17日、飯山市の隣、中野市の柳沢という場所の遺跡発掘現場で弥生時代の「銅戈(どうか)」が7本、「銅鐸」の一部が1個出土したことは、考古学に興味のある方はご承知のことだと思います。

  これは、後に詳しく述べる予定ですが、考古学上、非常に貴重な、というか、これまでの定説を覆すような大きな発見で、発掘された当日、発掘現場は大騒ぎだったようです。
 もう、時効でしょうから、書いてもいいと思うのですが、それにかかわった発掘作業員には「他言無用」と「箝口令」が引かれ、いつもは、作業が終わるとシートをかけるぐらいでほったらかしの現場には、警備員がつき、パトカーすら時々パトロールしていたという話です。
 最初にそれを確認した調査員の感想は「うそだろう。こんなものが出るはずがない」「本物なら、とんでもないことになる・・・」だったそうです。

 遺跡の発掘は、見つけたからと言って、がさがさ掘り出していいものではありません。特にそこまで貴重なものは、出土状態(どんな地層に、どのような形で埋まっていたか)が大変重要です。
 最初は1本だけが見つかったのですが、そこにはまだ他にも埋まっていそうな気配があったらしく、その場所は、そのまま保存されました。
 連日各地から、大勢の考古学者や、取材の方が訪れ、雪を前にして、そろそろ作業を終了する予定だった現場は大変なことになっていたようです。
 結局、発見されてから1ヶ月以上たった11月の終わり、そのあたりの地面を深さ1mくらい、縦横2・3m、そっくりそのままの状態で彫り上げ、「長野県立歴史館」に運ばれました。

 それから4ヶ月、いろいろな調査、研究が行われ、その結果がある程度まとまったと言うことで、3月15日から「長野県立歴史館」で特別展示が始まりました。(5月11日まで)
 それを機に「柳沢遺跡を考える」というシンポジウムも行われましたので、行ってみました。
 その時のお話しと、これまで私が古代の北信地区について考えていたことを混ぜながら、これから、少し書いてみたいと思います。
 途中で挫折するかも知れませんが・・・・(^^;
 
銅戈が発見された発掘現場
発掘現場です。写真、真ん中、白い服を着ている人の前あたりの壁から発見されました。

銅戈が埋められていた場所
「まだ、何か奥にあるぞ」
白い箸のようなものが立ててある間に、最初見つかった銅戈1本が埋められていました。
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  1. 2008/03/31(月) 15:18:15|
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